目録
「安倍の家で」
「安倍晴明様はご在宅でしょうか?」
夕方。安倍吉昌の妻、露木は市から帰った家の前で、一人の女性に話しかけられた。
「御義父様、ですか。少々お待ちください」
袈裟を被った女性の声は、露木が聞いてもわかるように怯えているようだった。
これは何かあって、義父に助けを求めてきたのではないのか、と思った露木は家へ呼びに入る。
「あのっ、入っても?」
「ええ、こちらでお待ちいただけますか?」
不安そうに尋ねた女性に露木はにこりと安心させるつもりで笑い、入り口で腰掛けられるように荷物をよけた。
そのまま露木は義父を呼びに行くべく、中へと入る。
残された女性は……哂った。
ゆらり、と震えた結界に晴明は読んでいた書物から顔を上げる。
一瞬の揺らめきだったが、確かに結界が揺れた。
露木が帰ってきたのだろうか、とも思ったが、違うと本能が告げた。
訝しげに思って屋敷と屋敷の周りに意識をやる。
この間の不思議な襲撃から二日が立っていた。
『晴明?』
「義父上、お客様がおいでです」
控えていた青龍が声をかけるのと、露木が部屋の外から声をかけるのはほぼ同時だった。
「分かった。露木、しばらく彰子様と部屋の中でじっとしていなさい」
「えっ、ええ、はい。分かりました」
静かな声に露木は何かを察したのだろう、少し驚いたようだが素直に従った。
さすが陰陽師の妻だ。何も言わなくても分かっている。
『晴明様』
天后が声をかけるのを手を振って制する。
ゆっくりと立ち上がり、晴明は部屋を開け放つ。
部屋から見渡せる庭に、一人の女が佇んでいた。
「お客様だとお伺いしましたが、どちら様かな?」
いつの間にか玄関ではなく庭に移動した女の顔は、晴明からは見えない。
気配は人間。けれど、本当にそうなのだろうか。
『誰だ』
青龍が隠行したまま零した。
女は聞こえていないように言葉を紡ぐ。
「安倍晴明様。あなたにお一つご忠告を、と思いまして」
「忠告とな?」
「はい。これからも無事に過ごしたいとお考えでしたら」
晴明は眉を潜める。
「それは私たちに関わるな、というものでしょうか?」
言葉は丁寧だが、眼光は鋭い。
女は気にした風も無く袈裟の下でわらう。
「そう聞こえるのでしたらそうなのでしょう。あなたとあなたの後継が関わると全てが複雑になってしまう」
「どういうことかな?」
「そのままの意。私たちには理があります。産まれる前から定められていた理が」
「貴様 !! 先刻からどういうつもりだ !!」
青龍が顕現して叫ぶ。それでも女は動じない。射殺すような視線を浴びてもなお凛と立っていた。
思わず隠行したままの神将たちの背筋が伸びる。
「青龍。今私が話をしているのは安倍晴明であって、お前ではない。それともお前の主は自分の式の教育もしていないのかと判断されたいか?」
言われて言葉が詰まる。人間風情が、と普段なら叫んでいるのに体が反射で拒絶した。
うっそりと哂った女に青龍の背筋に寒気が走る。
本能が反応した。この女、強い。
「安倍晴明様。此度の事件、人がどうにかできるものではないのです。」
「人が死んでいるのに、ですか?」
晴明は女と青龍のやり取りの最中、先日太裳が呟いた言葉を思い出していた。
違和感がするんです、と隊裳が言った、それを今思い出すということは、今思い出すべきことだからだ。
その違和感を晴明は探ろうとした。けれど女は晴明の目をじっと見てくる。先ほどの青龍に向けいていた好戦的な気配とは違う。
それは悲しい気配だった。
「本当はもっと時間をかけるべきだった。けれどそれを早まらせたのは人自身。私たちの手が届かない場所で全てが動き始めた」
「それは、どういう……」
「あなたに話せることは何も無い」
女はそのまま踵を返す。
「貴様は!!」
騒ぎが起きているのを知って勾陣が異界から降りてきた。その場にいる女のまとう雰囲気がこの間の女と同じだった。
勾陣の殺気で晴明はすぐさま回りに結界を貼るよう天后に指示をだす。
白虎が風で女の進路を塞ぐ。その風で女の袈裟が外れた。
「やはりこの間の !!」
勾陣が叫び、青龍、白虎が捕らえようと動いた。
ふと女が嘆息つき腕を一振りする。
と、炎が沸き立った。
天后は晴明を守るように彼の前に立つ。
一触即発の雰囲気の中、晴明は違和感の正体を探ろうとした。
さきほどまであった悲しげな気配はそのままに、どこかで感じたような気配が混ざる。
それが見出せない。それが分かれば事態が進展するはずと陰陽師の勘が告げる。
「晴明 !?」
叫びが聞こえたのは、今まさに青龍が大鎌を振り上げたときだった。
――――――
イツノマニカジカンハクルイハジメテ
晴明の家って、家人が了承すれば妖でも入れるんだよね?
それを利用して彼女は入れたというわけ。
もうそろそろ書きたかった場所にはいるかな。
七巻―九巻
h20/10/13
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