「いい天気ねぇ」
月明かりの中、侑子は笑った。
※ ※ ※
夜警のための仮眠をとるだけの時間が奇跡的に出来て、昌浩は精神世界にいた。
「できたv」
にっこりと微笑み、背後にいる迅雷を振り返る。
「できたよ迅雷の“身体”!」
《・・・ほぅ》
半透明の身体の迅雷が感嘆の声を上げる。
確かに、式の媒介となる光り輝く玉が完成していた。
《・・・ヘボいハリボテとはいえ、これだけ短時間に出来るというのも凄いな》
「否定しないけどさ・・・一応がんばってんだぞ、いろいろと」
遠い目で主張する昌浩に、迅雷は笑みを浮かべた。
《まぁ、核が完全に完成しているしいいとは思うぞ。わしもそう長く昌浩の中にいるわけにもいかんし・・・》
「とか何とかいって・・・実は寝たいだけなんじゃ・・・」
ボソリ、といった昌浩の言葉を完全にスルーし、迅雷は笑みを浮かべた。
《これでわしは自由気ままになるな。まぁ、お前が寝たときは精神世界に頻繁に現れてやるから安心しろ》
「安心できないよ!!」
幼き頃よりの迅雷の修行という、ある意味地獄の光景が走馬灯のように昌浩の脳裏を翔け抜ける。
内心、少し泣いている昌浩を愉快げに見下ろして、迅雷は言う。
《とりあえず式が待機できる異空間を拵えておこう。場合によっては神将と人間も入れるようにな》
「それって創るってことだよねぇ・・・創れるの?」
純粋な昌浩の疑問に迅雷は鼻で笑った。
《わしは“時渡り”の神龍だぞ?異空間など造作も無い。空間の核はわしの本来持っていた力の半分以上を凝り固めればいいか》
「そんなに使うの?」
創作した式“巳轟”と、秘密製作していた“もう一体”の式に、迅雷の力の半分より少ないとはいえ結構使った昌浩のセリフではない。
だが、そんな言葉にひるまずに、迅雷はにやっと笑った。
《強固なほうがいいだろう?・・・・・いや、いっそ神将の異界と連結させるか?》
「えぇぇぇえええ!!?」
ブツブツと本格的に計画し始めた迅雷は止まる事がない。
昌浩は思った。
・・・・・なにやら恐ろしい異空間が出来そうな気がする。
口に出したら怖いので、ひっそりと思っていた。
聞えてくる言葉に、計画がドンドン壮大になっていっている気がして、顔が引きつった。
他愛も無い話をしていたときだ。
いつの間にか、物の怪との約束の時間になった。
「わ!やばいっ・・・迅雷!俺もう行くから!!」
昌浩が大声で言えば、一瞬のうちに思考の海から浮上した迅雷が昌浩の方を見た。
《あぁ。わしも後から行こう・・・お前の“式”として》
両手で救い上げるように光り輝く玉を持って(珍しく)自然に微笑む迅雷が、昌浩に笑いかけた。
それに驚く暇も無く、昌浩は突き飛ばされる。
現実へと。
※
仮眠を取っていた昌浩が起き上がり、夜警の支度をしているのを、物の怪が尻尾をゆらゆらと振って舞っている。
まるで待ちきれないとでもいうように。
事実、物の怪の瞳は剣呑な輝きのままだ。
それを視界の隅で見て、知らずに昌浩は苦笑する。
・・・・・やっぱり、秘密を持っていたのが気に食わないのかなぁ?
支度を済ませ、物の怪に声をかけて出発する。
よじよじと塀をよじ登り、安倍邸より抜け出して、物の怪をつれて昌浩は夜の街に駆け出していった。
それを、ヒラリと舞い踊る“式”が、ジッと見ていた。
※
少し歩いて、安倍の家から結構はなれたぐらいだろう。
ジト目で見上げてくる物の怪に、不意に昌浩の視線が突き刺さる。
「なんだ?」
突然に出来事に瞳を丸くした物の怪に向かって静かにするように合図した。
懐から取り出すのは、二枚の札。
呼吸を整え、訝しげに見てくる物の怪前で、術を発動した。
「―――《前にあるは理に反する者 背後にそうは邪魔せし者 総じて我を阻む者なり》」
「は?」
ぽかん、と突然聞いた事のない詠唱を始める昌浩を呆けた顔で見上げた。
「《我を通せ 我を通せ 邪魔せし者は皆阻め》」
手に持っていた札が瞬時に姿を“蝶”へと変え、空へと舞う。
蝶は羽から黄色に輝く光を発しながら、クルクルと昌浩の周りを回ると、光りの軌跡を作っていく。
それを見ていた昌浩は満足そうに微笑むと、足元で唖然としている物の怪を抱えあげる。
「なんだ?今のは」
「ん〜?・・・簡単な式って感じかな?“俺にとって邪魔なものを妨害する”事を命令に組み込んだ、ね」
にっこりと黒い煙を背中からドロドロと噴出す昌浩に、物の怪は冷や汗を流しながら「ふーん」と気の無い返事をした。
・・・機嫌が悪いようだ。
物の怪を肩において歩き出した昌浩の背後で、二つの蝶はひらりひらりと円を空中に二つ描いて舞う。
そして、光の軌跡を引いていき、背後から昌浩を追いかけてきた“式”が光の筋に触った瞬間に霧散した。
砂のように霧散した式を放っておき、蝶はいつまでもひらりひらりと舞い踊る。
まるで、昌浩の背後をつけさせないとでも言うように。
※
一方。
“式”で昌浩の行動を見ていた晴明は、自分でも知らない呪文を詠唱した昌浩に驚き、さらに詳しく追跡しようとした瞬間に“式”が霧散したために覗き見が出来なくなっていた。
「むむむ・・・昌浩め。やりおるのぉ・・・」
ブツブツと独り言を言う晴明を、部屋で隠形して控えていた白虎と六合が訝しげな顔で見ていた。
そして、独り言が終わると、目をくわっと見開いて「ふふふふふ・・・」と怪しげに笑い出した。
「ふぉふぉふぉ・・・昌浩や、わしから逃れるなんぞまだまだ1万とんで百年早いわい」
札を折々、小刀でザクザクと新しい式を黒い煙と共に複数作り出していく晴明に、六合と白虎は視線を合わせて思った。
・・・・・爺馬鹿、と。
狸といわれる祖父と、そんな祖父におちょくられている孫は、確かに血が繋がっていた。
※
物の怪は昌浩の肩に乗って、横顔を見つつ思っていた。
・・・・・・・どこに向かってるんだ?
そう思えるぐらい、昌浩は都をただ黙々と歩いていた。
目的地があるようにも思えない。
淡々と歩いていた昌浩は、そんな物の怪の疑問に気付いているのかいないのか、道の真ん中で不意に立ち止った。
物の怪が肩から飛び降りて昌浩を見ると、昌浩は瞳を煌かせた。
「さて、と・・・」
ニヤリ、と不適に笑った昌浩に、不穏な空気を感じた物の怪が数歩後退する。
鋭い眼光が物の怪に向けられ、普段の昌浩の子供っぽい雰囲気が完全に消え、瞳がスッと細まる。
そこに立っているのは、もはや“昌浩”ではなかった。
「十二神将が一人たる騰蛇。“真白”の名において疑問を投げかけよう。これより先に見聞きした事を、例え何人に問いかけられようとも言わぬと誓えるか?」
物の怪は瞳を見開いた。
口調も、雰囲気も、何もかもが物の怪の知っている昌浩ではない。
そこに立っているのは、その口が告げたように・・・“真白”と言う名の者だ。
偽名なのだろうが、しっかりとした“言霊”が込められているもう一つの名前とも言えるものだ。
今、ここにいるのは“安倍昌浩”ではなく・・・物の怪の全く知らぬ“真白”と言う名の者だ。
それを理解した瞬間に、物の怪は瞬き一つで本性に立ち戻る。
流石に本性に戻る事は予想外だったらしく、一気に雰囲気が霧散し、キョトンとした瞳を向けてくる“昌浩”がいた。
不適な笑みを顔に浮かべ、紅蓮ははっきりと告げた。
「誓うさ。俺は“お前の式神”だからな」
「―――――」
瞳を丸くして唖然とする昌浩に、紅蓮は変わらず笑っていた。
晴明配下といっても、“昌浩側になった式神”が紅蓮だ。
そしてそれ以前にあの昔の日に、もはや紅蓮は誓っていたのだ。己の心に光りを灯してくれた者の為に。
「俺は、お前のために心を砕こうと・・・言ったと思うが?」
少し屈まれ、顔を同じ位置に持ってきた紅蓮に、昌浩は自然と笑みがこぼれた。
「そっか。なら、これから俺は紅蓮には秘密を作らないよ」
「そうしてくれるとありがたい」
クスクスと二人で笑って、ひとしきり笑い終わると、昌浩は紅蓮の前から数歩後退した。
不思議そうに見返してくる紅蓮に、昌浩は穏やかに笑った。
そして、口ずさむ。
「《汝らは我が盾にして我が盾にあらず 我が矛にして我が矛にならず》」
先ほどと同じように、詠唱し始めた昌浩に、紅蓮は傍観に徹した。
昌浩の身体から膨大な霊力があふれ出し、足元に魔法陣を精製する。
十二神将を外円とし、十二支を内円、中央には五芒星が描かれている陣。
初めて見た紅蓮は、不意に息を呑む。
昌浩の詠唱は止まらない。
「《汝らは我が身にして我が身にあらず 我が魂にして魂にあらず 森羅万象の一部にして我が一部》」
足元の陣より“二つ”の輝きが生まれ、昌浩の周りを旋回する。
「《汝、雷を司りし蛇の化身 汝、氷を司りし鳥の化身 今こそ汝らを我が身より解き放とうぞ》」
足元の陣に共鳴するかのように、旋回する二つの光りよりさらに陣が浮かんだ。
「《我は汝らの親にして親にあらず 我が子にして子にあらず 全ては我が絆の具現、友のカタチ!》」
紅蓮の前で、旋回する二つの光りが二つの影を模っていく。
それは大小の二つの影であり、光りだった。
「《今こそ目覚め、我に力をかさん! 雷の“巳轟”!氷の“氷凰(ヒオウ)”!》」
旋回する二つの光りが、強烈に輝いて紅蓮の目を焼く。
反射的に目を瞑り、光りが納まって瞳を開ければ、そこにいたのは昌浩だけではなかった。
昌浩の前に・・・己の目の前に人影が二つ。
一人は美しい青年だった。身長は六合より少し低いぐらい。
長い黄銀の髪を少し高めの位置で一つに縛り、腕には二・三重に絡んだ細い薄衣がフワリと舞う。
左の頬に一筋の模様が入っており、両手は鋭い爪を持っていた。
もう一人は少年だった。身長は玄武より僅かに高いぐらいだ。
肩ほどの淡い青の髪を風に遊ばせ、薄衣を両肩にかけており、腰辺りで留められた残りの部分が足に纏わることなく風に舞う。
額には模様があり、両腕にはそれぞれ二つずつ細い銀輪をつけている。
「なっ・・・!」
突然出現した大小二つの影に驚愕をあらわにした紅蓮を見て、昌浩はクスクスと笑った。
「紹介するね紅蓮。俺が創造した式たちだよ。・・・子供みたいなものかな?」
ニコニコと笑う昌浩が、拍手を一つ打つ。
ピクリ、と青年の身体が動いた。
ゆっくりと瞼を開けば、瞳の色は黒金の瞳。
自然に頭を下げ、紅蓮に向かって名乗りを上げた。
「お初にお目にかかる。我は創造主たる安倍昌浩によって生み出されし式。蛇と雷を司る“巳轟”という」
髪が動きにあわせて踊る。
唖然とする紅蓮を置いて、昌浩はもう一度拍手を打った。
今度は少年の身体が動く。
勢い良く開いた瞳は、巳轟と同じく黒金。
視線を動かし、紅蓮を捕らえると、軽く頭を下げる。
「初めまして。僕は安倍昌浩が創造して生み出された式。鳥と氷を司る“氷凰”といいます」
名乗られた紅蓮は、言葉を失っていた。
・・・・・・・なんだこれは?新たな嫌がらせか?
冷静な部分が機能せず、思わず頭を抱えそうになる。
昌浩に“秘密”を教えてもらうためについてきたわけだが、こんなビックリは予想外だった。
困惑する紅蓮にしたり顔で昌浩が口を開いた。
「ちなみに二人とも、今日が本格的に独立させて、完成させたんだ」
ニコニコと笑う昌浩に、本日より本格的に“一固体”として動く事になる巳轟と氷凰が振り返る。
「主、我らはいかがすれば・・・?」
「そうだよ。昌浩様!僕らはどうするのさ?まさかこのまま“あの人”と顔合わせとか?」
静かに聞いてくる巳轟に、小首を傾げて聞いてくる氷凰の二人に、昌浩は首を振った。
「ん〜?まぁいいと思うよ?顔合わせはしなくても多分分かってると思う。二人は“外”を探検してきなよ」
昌浩の言葉に疑問符が浮かんだのか、二人は不思議そうな顔をした。
「独立した記念だし・・・。当分は自由にしていいと思うよ。もうすぐ迅雷が待機場所というか休憩場所みたいなところを作るみたいだし」
「りょうかーい。それじゃ、それまでは僕らは自由時間なんだね?」
階段を登るかのように空中を歩き出した氷凰に、突然の事で驚いた紅蓮が顔を向けた。
その紅蓮を見ていた巳轟は、昌浩をチラリと見ると、瞳を閉じて「是、」とただ一言そういって歩き出す。
それぞれ自由に探検しだした己の式達を、昌浩は楽しそうに送り出した。
「・・・・・いったい、なにがどうなってるんだ・・・?」
マイペースな三人に、何処と無く置いていかれた気分の紅蓮が、ポツリと一言発した。