その日。
四月一日君尋はミセで悲鳴を上げた。
「なによ」
拗ねたような声を上げて、次元の魔女こと壱原侑子(偽名)は、悲鳴を上げたバイト君を見た。
バイト君こと四月一日は、それどころではないかのようにガタガタガタガタと身体を震わせて、侑子の手に掴まれている物を指差した。
酒瓶である。それも、秘蔵一歩手前ほどの。
「ゆ、侑子さん・・・先ほど、なんとおっしゃいました!?」
「だ〜か〜ら〜、知人に上げるって言ってるでしょ?」
侑子が大好きな、しかも上等な酒を譲るという事態に、四月一日は信じられずに顔を蒼白にした。
「侑子さんが酒を譲る!?て、天変地異の前触れっすか!?明日は槍が降るのか!?」
「いい度胸ね」
なにやら含みのある言葉を侑子が言うが、四月一日はパニックになっているらしく、不幸にも聞き逃していた。
「ちょっとしたお礼よ。お・れ・い!お礼に何かを上げるのは当然でしょう・・・?」
完全に混乱したのか、踊ってるのか逃げようとしているのかよくわからないダンスを舞う四月一日を、侑子は楽しそうに見ていた。
そしてふいにヒラヒラと手を振った。
「四月一日〜、お酒持ってきて頂戴〜v今から飲むから」
「本当に肝臓がぶっ壊れますよ!」
一瞬で現実に帰ってきて、ぐわっと大声で怒鳴るが、渋々お酒を取りに行く四月一日に、モコナとマルとモロが嬉しそうに踊りつつ一緒に向かっていった。
それを笑いながら見ていた侑子は、虚空に視線を向け、空気に語るようにポツリと言った。
「と、言うわけで・・・・・今夜、“真白”に連絡とるように言ってくれないかしら?」
《――――――》
一瞬、応じる気配が部屋に出現して消えた。
気配の様子に、満足げに侑子は笑った。
※
《と、いうわけで》
「・・・・・・・・・・・・・・・なにが?」
あの“変なもの”事件(迅雷命名)の数日後。
精神世界で甚振られ・・・もとい、修行をつけられていた昌浩は、荒い呼吸で突如迅雷が言った言葉に返事を返した。
目的の言葉を言わずに、最後だけのセリフだけを言った迅雷を睨む。
《次元の魔女からだ。今夜連絡をするようにとな》
「侑子さんに連絡?なんだろ・・・」
キョトン、とする昌浩に、迅雷は曖昧に笑った。
《さて、そろそろ朝のようだ。わしは寝るのでお前も帰れ》
「その突然言い出すクセを何とかしろ―――!!!」
自分の声にエコーがかかりつつ、なおかつ突き飛ばされるような感覚がもはや馴染みつつある昌浩だった。
意識が浮上する感覚は、溺れた時に慌てて水面に顔を出すときの感覚と似ていると昌浩は思う。
瞬く間の光景で、ふと視界に入った“物”があった。
光り輝く、二つの玉。
それを見て、昌浩は微笑を浮かべた。
届かないと解っていても、手を伸ばす。
「――――もうすぐ、会えるね」
二つの玉が、答えるように光を放った。
声に応じるように、二つの光が形を模り了承の意を見せるのを見届けると、昌浩の意識は休息に浮上した。
※
パカリ、と昌浩は目を開けた。
朝一に飛び込んできた光景は、書物を一つ振り上げたまま停止している物の怪。
明らかに昌浩を起こすために殴ろうとする一歩手前の行動のまま、物の怪は停止していた。
それを焦点を結んでみた昌浩は、半眼にして睨む。
「・・・オハヨウゴザイマス昌浩サン」
「おはよう。そこの物の怪」
ギクシャクと、禁句の“物の怪”と言われていてもギクシャクとした身体の動きで、物の怪は書物を元の山に積んだ。
だが、それで誤魔化せるわけも無く、昌浩は起き上がると、未だにロボットのように活動する物の怪を睨み続ける。
物の怪は内心ダラダラと冷や汗を滝の如く流している。
・・・・・視線が痛ぇっ!
ニッコリと笑う昌浩に、不意に物の怪は頭をグワシッ!と掴まれる。
「ま、昌浩サン?」
「なぁに?物の怪」
完全に機嫌が下に傾いた昌浩に、物の怪は(無理やり)笑ってみせる。
昌浩も笑う。
静かな部屋で、二人(?)でニコニコと顔に笑みを浮かべて冷戦を繰り広げている中に、晴明に言われて起こしに来た玄武は入れずに部屋の前でしばらく立ち往生していたという。
※
「おはようございます」
「おはよう」
部屋で仕度を済ませ、朝食の席に着いた昌浩に、先に食べていた晴明が挨拶を返す。
ご飯を食べ始めた昌浩は、何かを忘れている気がして辺りを見回す。
物の怪がいなかった。とりあえず背後を振り返ってみる。
すると、辛うじてついてきたのであろう物の怪が、ブリザードの余波に未だに苦しんでいるかのように白い毛皮をさらに白くしてそこにいた。
ついでに頭にタンコブ二つ。
もぐもぐ。ごっくん。
「もっくん、何してるの?」
本当に何をしているのかといった瞳で見つめてきた昌浩に、物の怪が吠えた。
「ひでぇぞ昌浩ぉ!確かに俺も悪かったと思うけどよ!二発も殴るこたぁねぇだろぉ!!」
おいおい泣き叫ぶ物の怪に、昌浩は再びご飯を口に含み、それを飲み込むと真顔で返した。
「駄目だなぁもっくん。仮にも物の怪なら俺の拳を避けられるぐらい俊敏じゃないと」
「問題点が違うだろ!」
ズビシ!と己を指差す物の怪に昌浩は次にすまなそうな顔をして言う。
「ごめんねもっくん。どうも夢見が悪くてね・・・」
言ってから沸々と怒りが再発したのか、迅雷への怒りを静かに燃やす昌浩に、物の怪だけでなく、晴明も気分的に一歩後に下がった。
「ごちそうさまでした」
しっかり食べて出仕しようとする昌浩に、現実に帰ってきた物の怪が慌ててついていく。
食事をゆったりとしながら、晴明は思わず言った。
「・・・・・黒いのぉ」
なにがって、昌浩の雰囲気が。
※
直丁は雑用係だ。
せこせこと墨を削りながら、昌浩は密かにため息をついた。
今の時期、何故か結構忙しいのだ。
そして、“真白”の用事もある。
はっきり言って、隠密行動が限界になってきた。
物の怪とはずっと共にいるし、晴明にもなにやら感づかれている。
つらつらと考え事をしている昌浩の頭で、声が響く。
『いっそのこと、“ましろ”のこと、もののけにはなしたら?』
天狐の血によって生まれた昌浩の別人格、“昌”の声だ。
離魂の術を用いたとき、怪しまれないために“昌”の意識だけを体に残していくのだ。
そのため、昌は戦闘に出た事はなく、ずぅ〜と眠っているだけでつまらないと最近愚痴っていた。
「(だから、身体作ろうかっていってるのに)」
『いらないの。まさひろが天狐の力をかんぜんにせいぎょしたら、しょうは眠るの。もともと、しょうは“過去”からうまれたんだし・・・』
昌の言葉が昌浩の言葉を揺さぶる。
・・・・・・・一つに、なれるのだろうか・・・。
『?どうかしたの??』
不思議そうな昌の言葉に「なんでもない」と返して、昌浩は決意を固めた。
「もっくん」
「ん?」
振り返る物の怪に、筆に墨をつけながら言った。
「今日の夜さぁ・・・俺にちょっと付き合ってくれない?」
「夜警にでるってことか?だったら付き合うに決まって・・・」
物の怪の訝しがる声をも遮り、昌浩の言葉が物の怪に波紋を呼ぶ。
「じい様にも、皆にも内緒にしている事、教えて欲しい?」
ピクリ、と物の怪の耳が動く。
瞳を開く物の怪に、何事もなかったかのように昌浩は仕事をしながら言った。
「今日、教えてあげる」
・・・・・俺に付き合ってくれるのなら。
昌浩の心の声を聞いたのか、物の怪は真剣な眼差しで昌浩を見た後、言った。
「・・・あぁ」
短い了承の言葉に、どれほどの感情が込められているのかを、昌浩はわからなかった。