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音がした。キンと結界の張られる音だ。
騰蛇は落としていた視線をあげた。感情のこもらない目で、目の前の人物をみやる。
視線を向けられた太裳は、びくりと体を震わせたが、後ろに下がることなく踏みとどまった。
怯えているくせに、恐ろしいくせに、太裳はこうして時折騰蛇の前に現れる。
周りに結界を張って、逃げられぬようにしてから。
物好きだ、と思う。
何故こんなことをするのか、騰蛇にはわからない。
太裳の結界は天空の翁に次ぐ強さを持っているのを知っている。
けれど、それは騰蛇にとって、壊せないものではなかった。けれど、壊そうとも思わなかった。
「とう、だ」
小さな声をあげて、太裳は騰蛇の名前を呼んだ。
そしてそこに小さな光が灯ったのを見つけて、安堵の息を吐く。
手を伸ばしても、嫌がるそぶりを見せることはない。
ふわりと触れた髪の感触は、とても心地よく、太裳の表情がゆるんだ。
怯えた子猫のように太裳の様子を伺う騰蛇が、ゆっくりと目を閉じた。
太裳の手の感触だけを感じているその姿に太裳は泣きたくなった。
誰よりも強い同胞は、誰よりも脆い。
けれど、誰もそれを知らないだろう。
ある者は本能に従い怯え、ある者は敵対する。
ある者は強いのが当たり前と突き放し、ある者は無関心を装う。
太裳だって、騰蛇は怖い。
けれど、それは"騰蛇"が怖いのであって、騰蛇が怖いわけではないのだ。
事実、騰蛇は同胞から離れ、一人でいる。
一人で、誰も寄せ付けず、同胞を見守っている。
それは決して一人がいいというわけではない。
騰蛇の瞳は光さえ灯さない。こうして太裳が勇気を振り絞って、近づいて初めて"騰蛇"は騰蛇の姿を見せるのだ。
「騰蛇」
ーーあなたは一人でいいのですか?
そう聞きたいのに聞けない。
聞いてしまえば自分たちがつけた騰蛇の傷を見てしまうような気がした。
騰蛇の額が太裳にあたった。
凭れるようにする甘えた仕草は、太陰を思い出した。
「騰蛇、私は・・・・・・」
その先が続かない。
「一人じゃない、だろう」
ぽつりと騰蛇が返事を返した。
騰蛇が言葉を発したのは初めてじゃないだろうか。
騰蛇は続ける。
「同胞という括りがあるかぎり、俺は一人じゃない」
一人だと決めつけることは哀れみなのだと太裳は気づく。
「・・・・・・すみません」
「謝ることじゃない」
ふと、騰蛇が笑った気がした。
表情は見えないけれど、いつも戦いで見せる冷笑とは違う柔らかな印象を受けた。
「いきますね」
行きますね、生きますね、活きますね。
それが今の太裳の役目のような気がして、そうして太裳はその場を去った。
「何をしているのですか騰蛇」
しっぽから軒先にぶら下がっているもののけを見て、太裳は訪ねた。
「遊んでいるように見えるか?」
不機嫌そうなもののけが、助けろと言外に訴える。
「おおかた昌浩様をからかったか、太陰の風の被害にあったかでしょう? 元の姿に戻れば抜けれるのでは?」
「うるさい。さっさと助けろ!!」
「騰蛇、助けてほしいときはそれなりの態度というものがですね」
「助けてください太裳サン」
苦虫を噛み潰した表情で、もののけは太裳に願い事をする。
どう考えても棒読みなのだが、まぁいいか、と太裳はもののけの前足を自分の肩にひっかけた。
そうしてしっぽを軒先の板の隙間から外してやる。
太裳の肩に器用に乗ったもののけは、ほっとしたように息をついた。
「助かった」
確かに本来の姿に戻ればたやすく助かっただろう。
しかし騰蛇がそうしなかったのは、簡単だ。
彰子を怯えさせないため。
「あなたは本当に優しいですね」
くすりと笑うと、同胞に褒められなれていないもののけは身をよじり、ひょいと太裳の肩から降りる。
暖かい肩の重みがなくなったことに、太裳は物足りなさを覚えながら、では、と太裳はもののけに背を向ける。
「おまえの方が優しいだろうが」
異界に戻ろうとした瞬間、もののけの甲高い声が太裳の耳に届く。
その声に振り向けば、物の怪の紅い目が見えたけれど、瞬きの間にその姿は消え、いつもの荒野に太裳はたっていた。
「・・・反則ですよ、騰蛇」
騰蛇と一度も過去のことを話したことはなかった。
互いにそれは触れてはならないものだと思っていた。
ありがとう、と直接言われたわけではなかったけれど、太裳にはそれで十分だった。
「私は、ずるいだけなのに」
結界をはったのは、自分と騰蛇が逃げられないようにするため。
違う。
他の同胞に気づかれないようにするためだ。
騰蛇に近づけば、誰も言い顔をしない。
だから公平を保つ六合も、白虎も、同じ炎将である朱雀も騰蛇には近づかない。
太裳の結界は、翁と騰蛇、そして本気の勾陣しかやぶれない。それを利用して、気配を殺して、騰蛇に会っていただけ。
一人でいる騰蛇が気になったのではない。
同胞を一人でいさせていうという自分の罪悪感を軽くするためだ。
翁と勾陣は知っていたはずだ。自分と騰蛇が会っていたのを。
けれど何も言わなかったのは、きっと自分と同じだったからだろう。
騰蛇も知っている。
ただの自己満足だと。
なのに、どうして。
「あなたはそんなにも優しいんですか」
――空気を震わせぬ問いかけに、答えが返るはずもないのだけれど
――――――――
行きますね その場を去る
生きますね 死なない
活きますね 元気でいる
仲間思いの騰蛇が望んでいること。
ごめん、これ、BLで萌えるかもと思ってしまった組合せ。
ものすごく楽しかったw
h22/6/12
カラウタ様「私の声はきこえてますか」より
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