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祇園祭
「えっ 紅蓮行かないの?」
くるりと後ろを向いた昌浩に紅蓮が「ほら前向く」と叱咤する。
大人しく前を向いた昌浩に紅蓮は帯を締めた。
「紅蓮きつい〜」
「お前が動くからだろう。ほら、外すからじっとしろ」
文句をいう昌浩に紅蓮はあきれながらも帯を締めなおす。
「何で行かないの?」
いつもならこういう行事にはついてきてくれる紅蓮に昌浩はふてくされる。
紅蓮はなにかと彰子と出かけるときはついてきてくれる。
しかも結構気を利かせてくれるのでそれほど気になることはない。
他の面々、たとえば太陰と玄武、天一と朱雀だと彰子と出かける、というよりも空気読めよ、と言いたくなるようなごーいんぐまいうぇいなので、一緒にいくよりも騒ぎを起こすほうが多い。
さらに紅蓮か六合はこっそり軍資金をくれるからいいのだ。
「一緒に行こうよ」
「昌浩は父と出かけるのが嫌なのか?」
からりと襖をあけて入ってきたのは昌浩の父親である吉昌で、昌浩は意外な言葉に目を丸くする。
「父上、今日は仕事では」
「あの人だかりでは仕事をすることも出来んからな。明日だ。母さんもそのつもりで連れてきたんだからな」
昌浩の下の兄のような温和な微笑を浮かべて落ちていた扇子を拾う。
「で、昌浩は私より騰蛇殿のほうがいいのかな?」
めったにない父の誘いに昌浩は顔を綻ばせる。
「父上がいいです!!」
その言葉に若干傷ついた神将がいたことは内緒だ。
「置いてきぼりか?」
そう声をかけてきたのは同胞で、闘将紅一点勾陣である。
苦虫を噛み潰したような顔で紅蓮は背後に立つ彼女を仰ぎ見た。
「吉昌が久々に昌浩と出かけるって言ったからな。大丈夫だろう」
昔と違いそこまで警戒する必要はないのだ。保護者がいれば足りる。
「行かないのか?」
そう尋ねたのは紅蓮。勾陣は彼が見ていたテレビのリモコンを取ると、チャンネルを変えた。
ブラウン管には黒い人並み。ところどころにある提灯の明かり。それを見て彼女は眉を寄せ、質問に質問で返した。
「行きたいか?」
「否、だな」
同じく眉を寄せた紅蓮の隣に勾陣は腰を下ろす。
「天后も予定が入ったらしくてな、結局やめたんだ」
付け足し程度に言葉を紡ぐ。
「予定? 青龍と一緒に宵山か?」
「まさか。私との予定をあいつに奪われるとおもうか?」
うっそりとした笑顔を紅蓮にむけ、その笑顔に彼は素直に、悪かった、と呟く。
それをみた勾陣は満足そうにクスリと笑った。
七月一日から三十一日にかけて安倍家の本家がある京都では祇園祭というものが行われる。
本日十六日は宵山として全国、京都に住む人間がこぞって夜の街に繰り出すのだ。
いつもならば昌浩も彰子も学校があり来ることが出来ないのだが、昌浩の家で彰子が、行ってみたい、と話していたのを晴明が聞きとがめ、吉昌が仕事で京都に行くのにあわせて連れてきた、というわけだ。
ただ翌日が終業式なので、明日の昼には吉昌をおいて帰らなければならないが。
ということで、今回は昌浩親子、彰子、それに紅蓮、勾陣、太陰、玄武、そしてなぜか青龍と天后という若干珍しい構成になった。
青龍は晴明の命で仕事。天后は勾陣が誘ったのだが、晴明からの仕事がややこしくなったため、青龍とともに仕事に行ったらしい。
おかげで勾陣が不機嫌だ。それに付き合わされる紅蓮はここにはいない主と同胞に恨み言を言いたくなった。
「それにしても、本当に多いな」
黒山の人だかりに紅蓮は睥睨する。宵々々山、宵々山は二日とも夕立が降ったからか、明日には出店がないからか、とにかく人が多い。
祇園祭が一番盛り上がるこの数日間は毎年毎年雨が降り(どこかの龍神が意地悪をしているのだろうか)、晴れているわずかな間に、何万という人がその地域に集まる。
「やっぱり昌浩たちについていけばよかったか」
「吉昌に露樹がいる。それに太陰と玄武もあのどこかにいるのだから平気だろう。たまには親子水入らずにさせてやれ」
「分かってるさ。だから今回は遠慮したんだろう」
すねたように髪を掻き揚げる紅蓮に勾陣は笑う。
太陰、玄武は昌浩よりも一足早く祭りへと向かっている。
晴明からの頼まれごとを終わらせれば自由にしていいと言われていたのだ。
二人は嬉々として頼まれごとを終わらせ、晴明からの仕事料として渡された軍資金を元に夜店を駆け回っていることだろう。
そんな二人の想像が簡単に出来て楽しい。
同じだけの時を生きてきたと言うのに、あの二人は見た目と変わらない性格をその内に秘めている。否、秘めているのは玄武だけだが。
「出掛けるぞ」
低い声で促した。
その声の持ち主を見上げて、天后は首を傾げる。
主からの命である仕事は昨日終らせたはずである。と、いうより昨日で終わらせなければ行けなかったので、天后が手伝ったのだ。
せっかく勾陣が宵山に誘ってくれたのに、行けなかったのが残念だったが……。
「どこに行くの?」
声をかけても彼は答えない。無口なのはいつものことなのだが、たまにため息を吐きたくなる。
地下鉄に乗る。平日朝八時の地下鉄は通勤ラッシュで混みあっていて、天后は少し眉をひそめた。
人混みが多いのは苦手なのだ。電車に乗り込んだ青龍に、天后もつづく。人がどんどん乗り込み押された。
と、腕を捕まれ入口とは反対のドアに引き寄せられた。
背中をドアに付けられ、捕まれていた手を離される。
その手は今度は天后の顔の横に、突っ張るように置かれた。
不機嫌そうな顔と目が合い、低い声で大丈夫か、と問われる。
いつもより違い距離に天后は頷くしか出来ず、さらにそのまま顔を上げられなかった。
電車がホームに滑りこんで、人が吐き出されていく。そのまま数駅。
烏丸御池で青龍はおりた。天后もそれに続く。
周りは大勢の人。けれどさっきの人たちのように急いではいない。浴衣を着て、地図を広げて、楽しそうに会話をしている。
――そうか、今日は山鉾巡行
思い当たったことにちらっと青龍をみた。
――恋人同士に見えるのだろうか?
そんなことを考えて、慌てて目をそらす。
遊びじゃない、仕事だ、そい自分に言い聞かせた。
その間も青龍は進む。いつの間にか外に出て、路地に入っていた。
あるビルに入る青龍を追いかけ、エレベーターに乗り込む。押した階と壁にあるビルの案内。それを見比べて、天后は目を瞬かせた。
「じゃあ行ってくるよ」
そういう吉昌を見送った露樹は本家の手伝いをするために台所へと下がった。
昌浩や彰子は昨日疲れたのか、布団の中で寝息を立てている。
太陰、玄武も同じく。お前たちは本当に神に連なる存在か?と聞きたくなるが、そういうと誰かに『家事に勤しむお前はどうなんだ?』と聞かれそうだから聞かない。
誰に?誰かにだ。
「まったくあの男」
背筋に何かが走りぬける。いわゆる悪寒。
紅蓮は巻き込まれる前に逃げ出そうとしたが、女性にしては低い声がそれを呼び止めた。
「騰蛇、どこへ行こうとしている」
「よう、早いな勾」
露樹を手伝ってくる、と彼女に背を向けたのもつかの間、さっきよりも低い声が足をその場に縫いとめた。
「私をおいてどこへ行くつもりだ」
――ああ、今日一日不機嫌な同胞に付き合わされる俺に幸あれ。
「どうしたんだ」
あきらめたように言葉を発する紅蓮。勾陣は口端をあげて笑みを見せた。
紅蓮にとっては背筋が寒くなるような笑みを。
「青龍がな天后を連れて出て行ったらしい」
「そ、そうか」
あの青男め、今度仕事が重なったら間違えたように見せかけて攻撃を仕掛けてやる。
「あの男。私の天后を無断で連れて行くとはどういうことだ。帰ってきたら覚えてろ」
ぶっそうな言葉が勾陣の口から放たれる。
自分の不幸を呪っていた紅蓮の元に救いの声が差し伸べられた。
「あら、勾陣さん。ちょうどいいところに」
「なんだ露樹」
昌浩の母、露樹は勾陣を見ると二コリと笑う。
勾陣も彼女に八つ当たりするわけにもいかず、いつもどおりに答えた。
「ふふ、こっちへ来てくださいな」
そのしぐさは楽しんでいるようで、それを邪険にするわけにもいかず、勾陣は従った。
「……馬子にも衣装」
「殴るぞ」
露樹に呼ばれて露樹が使っている部屋の襖を開けた紅蓮はそんな言葉を漏らして、冷ややかな嘲笑を受けた。
紅蓮が見たもの。それは濃紺の生地に薄紫色の蝶というシンプルな柄の浴衣姿の勾陣。
帯は紅くよく見るとその柄も蝶だった。
「昨日本家のお義姉さんが出してくれたなかで似合うと思ってたの。思ったとおりよく似合っているわ」
少女のように笑う露樹。おそらくこの笑顔で勾陣に浴衣を着せてしまったのだろう。
以外に勾陣は女性に甘い。
昨日着せてあげればよかったわ、とか言っている露樹に勾陣は苦笑する。
「いや、こういうのは苦手で。昨日でも着なかったと」
そう、といささか残念そうにする露樹に、なんだか勾陣は自分が悪いことをしているような気になってしまった。
「……行くか」
と、唐突に言葉を発したのは紅蓮で、勾陣は首を傾げる。
「山鉾巡行。昌浩たちがいるから行く気がなかったが、もったいないだろう」
せっかくきれいなのに、と呟いて紅蓮は勾陣の答えを待つ。
「いや、何かあると困るだろう。動きにくいし」
一瞬戸惑った様子の勾陣が紅蓮にまっとうな言い訳をする。
「昌浩を連れてるわけじゃないし大丈夫だろう。それに普通にしてたら何か起きるわけでもない。男としてエスコートぐらいできるぞ」
さらっと正論で返された。
確かに昌浩たちがいないのだから、保護者としても護衛としても紅蓮、勾陣は必要ない。戦闘が起こるような時代でもない。
あるとすればナンパとかそういう類だろうが、男と一緒にいればそんなことにはならないだろう。
それに対して勾陣はうーとかあーとか唸っているが、露樹が嬉々として賛成した。
「行ってらっしゃいよ。昨日は残ってたんでしょう。昌浩もまだ起きないでしょうし、巡行はお昼には終わるし。巡行は見たことないんでしょう?」
確かに、昌浩が小さいときはよく祇園祭りに来ていたが、山鉾巡行は見たことがない。勾陣はしばらく悩んだ挙句、是と答えた。
コンチキチンと祇園祭独特の金属音と人のざわめきの中を通り過ぎる。
地下鉄四条から地上にでて、そのまま人の流れに沿って歩く。
籤あらためを見ようとしている人だかりを通り過ぎ先へ進む。
本家の人たちに籤あらためより、辻回しのために場所をとるべきだ!と言われ、先へ先へと進む。
勾陣は慣れない下駄に苦戦しつつ、意地なのかいつもと同じペースで歩こうとしている。
それがほほえましくて思わず口の端をあげた。
「何を笑っている」
彼女のそんな声が聞こえたが、紅蓮はただ笑うだけ。
笑う彼に彼女はしばらく目を鋭くして威嚇(紅蓮談)していたが、観念したように、ふっ、と笑みをもらした。
――めずらしい
そう思ったものの声に出せばその笑みは引っ込められるだろうから、あえて言わない。もう少し彼女の笑顔を見ていたかった。
回りの野郎どもの視線がなければもっと良かったのだが。
そんな時だった、その雰囲気を互いにぶち壊す声が響いた。
「勾陣?」
声に振り返ると、そこには……。
「なんでお前が天后とここに来ているのか知りたいな。答えてくれるだろう、青龍?」
先ほどの笑顔とは違う、勾陣の素晴らしく綺麗な笑顔の前に青龍と紅蓮はぴきっ、と音を立てて固まった。
深い青に水の波紋が描かれた浴衣を身に纏った天后は、そんな三人の様子など気にした様子もなく、勾陣のいでたちに笑顔を向ける。
「その浴衣どうしたの? とっても似合っているわ。簪も可愛いし」
「ありがとう。天后も似合っている。ところで、なんでここに?」
青龍が答えないとみると勾陣は天后に答えを求める。
天后は悪びれもせず、少々頬を染めながら、しかしうれしそうにことの顛末を話す。
曰く、仕事だと思って連れて行かれた場所が呉服問屋で、浴衣を選んでもらって一緒に来た。
「……レンタルではなかっただけ許してやろう」
にこり、と笑顔で青龍に向き直った勾陣の顔には『帰ったら覚えていろよ』と確かに書いてあって、関係ない紅蓮も身を強張らせた。
「さて、天后。行こうか」
「ええ」
勾陣の口から出た言葉に紅蓮は思わず非難の声をだした。
「勾!」
「私と天后が一緒に行くのに何か問題でも」
青龍に向けられたのとは違う、しかし同じような笑みを見て、紅蓮はしぶしぶと引き下がる。
「ちっ」
わずかに舌打ちをした青龍は来た道を戻ろうと踵を返す。
「おい待て青龍」
「お前と一緒にいるだけで気分が悪い」
吐き捨てるように出された台詞は思っていた台詞と同じ。
だが、それで引き下がるわけにはいかない。
「そりゃ同感だ。だがな、あいつら二人放っとくとどうなる? あの二人だ、男が寄ってたかって声をかけるだろうな」
青龍の歩みが止まる。
「勾陣が何とかするだろう」
「それでさらに八つ当たりされるのも確定か?」
嫌味のようなその台詞にようやく青龍がこちらを振り向く。
「ちっ」
もう一度今度は盛大な舌打ちをして、青龍は二人の後を追う。
隣、を歩くなんて絶対に嫌な紅蓮も数歩遅れて後を追った。
追いついたころには(歩幅の差だ)やはり、というか何というか男に囲まれている二人。
しつこい男に勾陣が笑顔で暴言を吐こうとしたそのとき、彼らの間に割ってはいる。
「俺たちの連れに何か用か?」
お決まりの台詞だが、目を鋭くさせると効果絶大。男たちは顔を引きつらせて去っていく。
「来るのが遅い。何のための外見だ。こんなときこそ発揮してもらわないと」
「それはいいすぎじゃ」
「番犬と呼んで欲しかったか」
紅い唇の端を上げて勾陣は笑う。
面白そうに。
からかわれていると分かっていながらも、あえてそれに付き合う。
我侭なのだ、このお姫様は。
「やっぱりここは人が多いわね」
辻回しが見れる交差点。百貨店が立ち並ぶそこには多くの人だかり。
さらに地下鉄を使おうとしている人も増えてひちゃかめっちゃかだ。
人よりも高い身長とガタイでその人並みを抜ける。もちろん紅蓮の脇には勾陣、青龍の脇には天后。
それぞれ浴衣が着崩れないように注意して、人に押されないように注意して、移動する。
わざとはぐれてもいいのだが、(むしろ男二人はそうしたい)その後の女性陣の反応が恐い。
抜けたところで合流する。
その場所は少し開けていて、回りよりも身長の高い四人はその場で交差点を注目した。
先頭の鉾が辻回しの準備に入っている。タイミングが良かったようだ。
「さすがに暑いな」
「そうだな。それよりも広告の前に入り込むなんてずるくないか」
勾陣の視線の先にはビル。広告用のデカイポスターの前にはそのビルの社員であろう人々。
「ホント。上から見るなんて確かにずるいわ」
勾陣の言葉に天后も頷く。
「むしろ今日なんて仕事にならんだろうに」
ブディックだろうそのビルの入り口は案の定閉まっている。この四日間は多くの仕事場が休みで、さらに今日は近隣の学校も休みのはずだ。
何故って? もちろん人が多すぎるからだ。
「午後からするんだろう」
配られていたうちわで扇ぎながら紅蓮は目を細める。
「――動くぞ」
ずっと黙っていた青龍がぼそりと呟く。
通りを見れば鉾が準備を終え、動かそうとしているところだった。
竹を敷き詰めた上に鉾をのせ、固定して横に引っ張ってずらす。
それで方向を転換させるのだ。これがかの有名な山鉾巡行辻回し。
回りの歓声と拍手のなかで天后が呟く。
「こんなもの、って思っていたけれど、悪くはないわね」
「ああ。人は面白いことを考え付く」
満足げな顔で勾陣も頷いた。
天后が笑う。
青龍はずっと不機嫌。
勾陣も笑う。
紅蓮は苦笑して。
平和な日々を感受する。
それは長い長い時間を生きてきた彼らの、これから生きていくための思い出として心に残るモノとなる。
――――――
ってことで祇園祭山鉾巡行。
私が始めて行ったので、その体験も含めてあります。
ちなみに、青后はこのあと預けていた服を受け取りに行かなくてはいけないので四人はまた分かれます。
ほっとする男性陣でした。
郷佑より、匂陣のイラストをいただきました。こちら(携帯は見れない場合があります)
h20/7/31
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