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『勾陣の受難』
「あー、もう最悪」
居間で昌浩が唸っているところに、通りかかったのは勾陣だった。
昌浩が唸るのは、大抵彰子のことだったり、相棒で、過保護の騰蛇のことだったり、祖父である晴明のことだったり、兄にからかわれることだったり、敏次とのことだったりととにかく人間関係においてはよく悩んでいた。
だから今回もそのあたりのことだろうと勾陣は声をかけることにした。
勾陣にとっては人間関係などコミュニケーションにおいては一歩下がって考えるたちなので、そこそこうまくいっている。
むしろ昌浩がどうしてそこまで悩むのか分からず、昔からのウォッチング物件だったりするのである。
まぁ、十二神将に人間関係と呼称するのはこの際おいておく。
「どうかしたのか昌浩」
勾陣が声をかけると、昌浩は振り返って何かを思いついた様子で手を叩いた。
「ああ、そうだ、勾陣がいた」
「何がだ?」
昌浩の様子に勾陣は首を傾げる。
「勾陣に頼みがあるんだけど」
勾陣の目前に差し出されたのは、ノート。
人の名前と数字が書き込んであることから、おそらく歴史。
「これ、教えてくれない?」
人間関係にはよく頭を悩ませる昌浩だが、勉強においてはそこそこできる。
千年ほど前の主の孫は、年功序列と自分の立場と能力をわきまえていたから、陰陽術関係のことは人並みに、を気をつけていた。
芸術面においては、破滅的だったが、それはそれ。
現代の主の孫の陰陽術関係は、昔の孫と比べても遜色ないが、その能力事態を表に出すことはないためごく普通の学生としての毎日を送れている。
陰陽術以外の勉強は、もともとコツコツと学んでいく性格だったため、これまた普通の学生であった。
また、彼の周りにいる面々は昌浩よりも大人ばかりで、特に安倍家に世話になっている十二神将は、まさに生き字引と言えるほどの年月を生きている。時には騰蛇が、時には六合が、時には太裳が昌浩の質問に答えてきた。
そして今回はたまたま通りかかった勾陣に訪ねたのである。
たまたま。
そう、たまたまそこに勾陣が通りかかっただけ。
しかし、勾陣は僅かに眉間に皺を寄せた。
もちろん、他の誰が見ても分からないくらいに、だ。
「何が分からないんだ?」
「幕末の日本の武家と貴族と天皇の関係」
昌浩の答えに、今度は昌浩にも分かるように眉を寄せる。
これは中学生に答えられる問いなのか、という疑問が頭をよぎった。
「先生が最近は何でもかんでもパソコンに頼りすぎだって、少しは本で勉強してみろって言ってさ、こんな感じのレポート出したんだよ。親の意見とか、本参考にして書いて来いって」
「だったら私に聞くより、図書館に行った方が良いんじゃないのか? 私たちの語ることは合ってないことが多いぞ」
勝った方が正しい世の中ってのは、いつの時代でも一緒だな、と言ったのは騰蛇である。
昌浩たちが学校で習うものと十二神将が見てきた歴史は食い違いが多い。昌浩もそれは十分知っているはずだが。
「俺だってそう思ったさ。で、今日の帰りに図書館に寄ったんだけど、もう借りられちゃった後で、めぼしいものがなかったんだよね。そもそも、これ先週に出た課題だったんだけど……」
昌浩はそう言うとうなだれた。
先週と言えば、例によって例のごとく、晴明に無理難題を押しつけられて夜通しかけずり回っていたのではなかっただろうか。そこまで考えて、勾陣は納得する。
「忙しすぎて忘れていた、と」
「そうなんだよぉ。まだ時間はあるんだけど、今週末って京都に行くじゃないか、そうしたら時間なくって・・・。こうなったら蓮紅に聞いてやろうって思ったんだけどさ、じい様に頼まれていないし、六合は風音のトコだから邪魔できないし、どうしようって思ってて」
「そこに私が来た、と」
そうなんだ、と昌浩は情けない声を上げた。
「勾陣なら蓮紅よりも良い答えになると思うんだ、頼むよ」
昌浩が人を頼ることはあまりない。何事も自分でやるように躾られてきたからでもある。
その昌浩が頼むのだからよっぽどのことなのだろう勾陣も昌浩の願いを叶えてやりたいとは思った。
が。
「勾に勉強を聞くのは間違いだぞ」
ふいに聞こえた声に、勾陣は思わず舌打ちをしかけた。
「お帰り紅蓮。早かったね」。
昌浩の返答に、おう、と片手を上げてから荷物をおいた。
そしてものすごい沈黙の後の勾陣の言葉に騰蛇は苦笑する。
「……騰蛇、おまえ帰ってきたのか」
「まぁな」
一通りの挨拶の後に、昌浩は騰蛇の袖を引く。
「で、勾陣に聞くのは間違いってどういうこと?」
「興味のないことにはとことん無関心だからな。まぁ目に入った、聞こえたことくらいは覚えてるだろうけど、それ以外のことはさっぱりだ。そうだろ?」
騰蛇の問いかけに、勾陣は眉を僅かに寄せた。
それは先ほど昌浩にノートを見せられたときと同じ、気づくのが困難なほどの些細な変化。
だが、その僅かな変化を気づくものはいるのだ。
目の前の男のように。
騰蛇は口端をあげると、昌浩に向かってヘルメットを投げて寄越した。
「図書館が無難だろう。連れていってやる」
昌浩はそれを受け取ると、チラリと勾陣を見た。
特別何かが変わったとは思えないが、これ以上勾陣に何かをいうこともはばかられて、大人しく鞄を取りに居間をでることにする。
「連立方程式とかも苦手だろ?」
昌浩が出ていったのを確認して、騰蛇は笑った。
少しむっとした勾陣が騰蛇から目線を逸らしながら言い返した。
「苦手ではない。私には意味がないから理解しようと思わないだけだ」
その答えはまるで、数学が出来ない大人。
それは分かっているけれど、そう言うしかなかった。
なんだか癪に触るが、勾陣はこれ以上聞かれるのもごめんと居間を出る。
確かに、千年前の主たちがこの世を去ってから、用事があるときにしか人界に降りることはなくなった。反対に騰蛇や六合をはじめ、多くの同胞はことあるごとに降りていて、勾陣に話を持ってきたりした。けれどそのどれも勾陣の興味をそそるものはなく、記憶の底にしまわれて、引き出すこともしなかった。
晴明という懐かしい名前を持つ主に召還されて、昌浩という孫が生まれて、ようやく勾陣は人界に降りるようになったのだ。
だからというか、なんというか、勾陣にとって勉強は苦手な部類に入る。
特に歴史だ。今更過去のことを知りたいとも思わないし、知るための勉強など無駄な気がしてならない。
また、めまぐるしく変わっていく機械系統も苦手で、そもそもそういうものは、青龍や騰蛇、六合などが使えるから自分は分からなくても良いと思っていた。
だから使う必要があったとしても、それとなく切り抜けてきたつもりだったのだが。
「まったく」
どうして騰蛇にはバレてしまうのだろうか。
勾陣は腹立たしく思いながら、敵わないな、と呟いた。
――――――
碧波琉さんに押し付けたもの。
勉強が出来ない勾陣を目指しました。
あと機械とかも、苦手。
何この勾陣可愛い、と設定に萌えたのは内緒。
h22/3/15