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晴明の口癖でもある『名前は短い呪だ』という言葉。
 それは時々、とんでもない形で実感する羽目になったりするもので。



「だーかーらー」
「どうして駄目なの?」
 心底分からないといった様子で疑問を投げかける彰子と、それに対し力一杯何かを言い含めさせようとする昌浩。
 六合に呼ばれ昌浩の元に訪れた勾陣が最初に見たのは、何とも不思議で何とも奇妙な姿だった。
 いつもならば彼らの間に白い尾をひょんひょんと振りながら彼らの間の中を取り持つ白い物の怪の姿をした同胞がいるはずなのだが、今回はその姿が見えない。
 おかしい、とざっと部屋の中を見回せば、彼らから少し離れた部屋の隅で少々やつれた様な表情を浮かべてたままくたりと伏せており、勾陣は久々に珍しい物を見た驚きでつい驚きの声がそのまま出てしまった。
「騰蛇」
 連れて来た、と短く告げる六合―そういえばこの男も何故だか少々やつれた顔をしていた―の声でやっと二人の存在に気付いたらしく、物の怪は小さく「おお」と返事をする。増々らしくない。
「何があった?」
 さっぱり事情が飲み込めない勾陣は不思議そうな声のまま問うたのだが、途端物の怪は非常に嫌そうな顔を六合に向けた。
「おい六合」
 勾に説明してないのか、お前。
 少々咎める様な声と心底嫌そうな表情で彼が顔を向けると、その視線から逃れるように六合が顔を背ける。
「お前なぁ」
 仮にも自分の事でこんな事態を引き起こしたんだから説明ぐらいしておけ、と溜息混じりで物の怪が叱責すれば、六合は更に顔を背けてしまう。
 ああ、いけない。そう思った勾陣が紅蓮を止めようとしたのだが、その行為は当の本人の一言で止められてしまう。
「…………まぁ、気持ちは分からんでも無いが」
 一歩避けているとか、距離を取っているとか。全くそんな様子も見せずに心の底から物の怪が漏らす言葉が少々信じ難くて勾陣は心底驚いた。
 そう言えば、心なしか彼ら二人の間には、今や同じ戦火を潜った戦友の様な何かが出来上がっている気がする。
「…………何が、あった?」
 非常に嫌な予感しかしない勾陣だが、それでも先と同じ質問を繰り返す。
 しかし、その答えはまたしても思いもよらぬ所から降って来る事となり。

「あっ、勾陣」
 彰子が先にその姿を認め、続いて昌浩―やはりその顔はやつれていていた―が彼女を認める。
「あのね、勾陣。昌浩達ったら酷いのよ?」
 一方彰子はぷりぷりと可愛らしい声で怒っていたのだが、説明も無く此処に連れて来られた勾陣には何が何だかさっぱりである。
「彰子姫。その、何があった?」
 三度目の質問。それは。
「あのね、勾陣」
 やっと話が分かる人が来たわ、とその表情にはありありと書かれている彰子の口から、ようやく明確な返事が得られそうであり、勾陣は少なからずほっとした。だが同時に、何だか嫌な予感がするとは思っていたのだが。
「昌浩達ってば」
 まさかこれ程とは。
「六合の事をね」
 その瞬間、勾陣は噴出さなかった自分を褒めてやりたいと思った。
「りっくん、って呼んじゃ駄目だって言うのよ」
 ねぇ勾陣。あなたからもこの三人に怒ってくれない?折角――。
 彰子は何かをずっと言っていたのだが、勾陣は自分が聞いた言葉が信じられなくて暫く固まってしまった。
 姫は何と?六合をりっくんと呼びたいと。何故?分からない。自分は何の為に?三人を納得させる為に。いやしかし、けれど。
 彰子の声はどこかの美しい音楽の様に、皆の耳の右から入っては綺麗に左へと抜けて行く。



「だからね彰子……」
 そもそも何が発端だったのだろうかと、昌浩はぼんやり考える。
「だっておかしいわ」
 というか、もう何度こんなやりとりを繰り返したのだろうか、もうそれすら思い出せない、否、思い出したくも無い。
「もっくんはもっくんでしょう?ならりっくんはりっくんよ」
「あのね彰子」
 物の怪姿の紅蓮をもっくんと呼ぶ事と六合をりっくんと呼ぶのは、似ている様で全然違う。何が違うのだと言われたら、残念ながら説明は出来ぬ。けれど、なんとなく、違うのである。この胸の中に居座る違和感をそのまま口にする事が出来れば、こんなにも苦労はしないのであろうが、残念ながら自分はそんな器用な芸当が出来る程言葉を持ち合わせていない。
「他の十二神将にだってそんな特別な呼び名は無いだろう?」
 無理矢理理由を挙げてみたが、自分でも納得がいかないのだから、無論彰子がそれで引き下がるわけも無い。
「じゃあ他の皆もそうやって呼ぶわ」
 他の皆。
 その時の昌浩の頭に浮かんだのは青龍の顔であり、その直後に笑顔の彰子に『せっくん』だの『せいくん』だの呼ばれる青龍の顔を想像してしまった。
「まっ、待って彰子それは色々、うん色々まずいから!!」
 多分問題が勃発する、いや、絶対問題が勃発する。あくまでも想像だが、きらきらとした顔で呼ぶ彰子と反比例する様にどんどん機嫌が悪くなるだろう。あくまでも想像だ、そう、想像。
 ……だって想像ではなく現実になってしまったら、とてつもなく嫌過ぎる。
「だって皆同じ十二神将なのよ?同じような呼び方があっても良いでしょう?」
 同じようだけど、やっぱり違うのだ、もうそれは感情論でしか無いけれど。
 ここぞという一言が言えない昌浩は、また元に戻ってしまった事に気付きつつ口を開いた。
「だっ、だからね彰子?」
 ああ、誰か。誰でも良いから。
 助けて。


「あー、何と言うか……」
 思いも寄らない事態に勾陣の口の端が下がり、苦笑の形になる。
「お前らも苦労、したんだな」
 昌浩、紅蓮、六合。この三人ではどう頑張っても彰子を納得させる言葉は出て来ないだろう。
「……まぁな」
 事実、その三文字の言葉の中には不機嫌の極み、というか慣れない事を試みた為に疲弊しきっている感がありありと込められていた。無理も無い。この三人は他の人間ならどうにでもあしらえても、彰子には勝てやしない。
「…………、勾?」
 思えば長い付き合いだ。あー、だの、うー、だの変な声を出しつつ口をぱくぱくさせていた物の怪が後ろ足で頭を掻きながら、ちらちらこちらを見てくるその行為だけで、彼が何を言おうとしているのかがありありと分かってしまう。
 けれど、それだけではつまらないと思ってしまったのだ。
「何だ、騰蛇?」
 わざと問い返したのが分かったのだろう。おい、とだのお前、だのぶつくさ言うのを全て笑顔で流してやると、とうとう観念したらしい。
「勾陣」
 少しだけ贅沢を言うならば、物の怪姿では無く紅蓮の姿で名前を呼んで欲しかった。が、これはこの際言わずにおく。
「頼む」
 誇り高い紅蓮の口から、実はなかなか何かを頼む言葉が出ることが無い。だから勾陣は紅蓮の口からこの言葉を聞く度に幸せな気分になるのだが、それは決して言わない。
「分かった、任されよう」
 だから、いつでも勾陣はその言葉を聞く度に綺麗な笑顔を浮かべて返事をするのだ。
 貴方の期待に答えましょう、その絶対の信頼に全力で返事が出来るように、と。



 とは言うものの、男三人衆は精魂尽き果てていた。どうすれば彰子が納得するのか。どうすればその提案を退けられるのか。
 最後の砦とも言える勾陣が彰子に近付くのと同時に、昌浩は疲れ果てた神将達の傍による。
「もっくん、大丈夫だと思う?」
「さぁな」
 勾陣は先ほどから彰子に語りかけており、彰子はそれを真剣な目で聞き続ける。ああ、この後暫くは二人の口論でも始まるんじゃないかとぼんやり考えながら昌浩はこちら側で会話を続ける。
「さぁって」
「勾ガ来ても、俺は可能性が半々になっただけだと思うぞ」
「いや、俺達だけじゃ可能性は限りなく無に等しいんだし」
「いやでも勾とて万能な訳じゃ」
 と、三人の視界に鮮やかな絹の色が動いたのを見て、いっせいにぴたりと口論を止めた。見ると彰子は顔を真っ赤にして棒立ちになっている。
 何が。そう考えた男達と彰子の視線がふいに合って。
「ごめんなさい!」 
 開口一番、彰子はそう告げる。
「昌浩の言う通り、もっくんはもっくんで、六合は六合よね」
 先ほどまでの強情な言い分はどこへやら、彰子の意見は綺麗に翻っていた。
「私間違ってたわ。ごめんなさい」
 変な事言わずに、露樹様のお手伝いでもしてくるわ、と顔を真っ赤にしたまま一気に喋った彰子は、茫然とする男衆を後目にそそくさと部屋から出て行ってしまった。

「勾」
「ん?」
 言われたことはやったぞ、と平然と返す勾陣に三人の視線が一気に降り注ぐ。
「お前、彰子に何言ったんだ?」
 物の怪の言葉にこくこくと首を振る事で同意を示した残り二人も真剣な視線だけで続きを促す。
「あぁ、いやなに」
 けれど、勾陣はにやりと口の端を上げて、ただ一言しか返してくれなかったので、その後三人は更に悩む事になってしまった。
「とっておきの呪を一つ、な?」



 愛し人の名を呼ぶ事。
『他の姫君が、昌浩の名を親しげに呼ぶ事を考えてご覧?』
 愛し人に名を呼ばれる事。
『見知らぬ殿方から、彰子と名を呼ばれる事を考えてご覧?』
 私が貴方の一番じゃ無ければ嫌だ。貴方が私の一番じゃ無ければ嫌だ。
『六合の親しき呼び名は六合自身が決めるべきで、その呼び名を呼ぶ権利があるのは、それもまた六合自身が決めるべきだと思いませんか、彰子姫』
 例えばそう、私が紅蓮の名を知り得たように、その名を呼ぶ事を許されたように。

 愛し人の全ての一番になりたいと。愛し人が全ての一番になって欲しいと。
 それが例え、永久に続く呪だとしても、そうありたいと思うのは、きっと恋するものの共通の願いでしょう?
 そう尋ねる勾陣に、彰子はただただ真っ赤になって、頷くしか出来なかった。






あとがき。
半年越しのサイト開設祝い。気づけば偶然そうなりました。
いつもお世話になってる円氏へ、これからのご多幸をご繁栄をお祈りしつつ!

イマワノ 排





――――
ってことでサイト関係ではお世話になりっぱなしのイマワノ氏からいただきました
わーい。昌彰、紅勾、六風だ〜。一小説で三CP味わえるなんて素敵vv
彼女に言われて気づいたんですけど、昨日でサイト開設半年なんですね
ここまでやってこれたのも、彼女と相方と、それからここに来てくださる皆さんのおかげです

これからもよろしくお願いしますm(_ _)m
h20/5/12
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